自分を大きく見せるため
人より優れているように注目を浴びたい
誰かの失敗で足を引っ張る
では結果・・・そんなことした自身の評判はどうなのか?
そんなことして自分の「徳」になるかな?
そんなこと自分の中で考えてみる・・・
その人がなぜ、そうする必要があったのか考えてみる・・・
高評価?
評判を上げること?
すべて他人から得るものだ。
それで自分は納得できるのか?
そんな単純なものではないですよね。
でも
自分の正義を貫くために、やらなくてはいけない事があります。
これは悲しいかな、正義には必要不可欠なものです。
「悪」
自分の正義を貫くためには対象となる悪役が必要になります。
これはヒトラーも民衆を引き込むために敵を作り、正義は我にあることを主張する
いまのトランプもそうですよね。
勝てば官軍といいますが、負ける方は、大義のために戦って悪党呼ばわりされる訳です。
でもその悪党にも、守るべき家族があり、そのために自分の正義で戦ってきたのです。悲しいですよね。。。
正義とは、その立場によって変わってしまうのです。
なにが正義で、なにが悪と
人を仕分けして整理する前に
「等身大の自分で付き合えばいいんじゃない?」
私は40代になって初めてサラリーマンという職業につきました。
e-ラーニングの実用化から、自社開発の会員制ECサイトの構築など、一日16時間平均で、その一年頑張ってきました。
そして賞与の査定の時期、自己評価表を書き、目一杯頑張ったつもりだったので全てに「A評価」をつけました。
上司である部長に呼ばれ「なんだこの評価は?」
はい?自己評価しろと言われて書いただけなのに、心では「はっ?」
まあ落ち着いて「自己評価です。」キッパリ
部長「オレは認めん!」
自分「そうですか、では失礼します」(心の中では、別にあんたに評価を受けたい訳ではない・・・)
部長「おっ・・・ぃ」って
「い」が聞こえたか聞こえないかぐらいに去ったのでしたが
自己評価を求められたのに、「認めない」は、その部長の単なる上司への責任や体裁でしかないのだと思いました。
その翌年の自己査定では5段階中の「オールE評価」をつけても賞与の額は変わりませんでしたからね^^
実績や人気という面では、人からの評価は必要で、PDCAを回してより良くすることを仕事などで活かすのは大いに賛成です。
でも、人からの評価が、何の基準にもならないのが「人間性」であり
「人間性」を培うのは、自分が評価をして、選択していくことではないかと思います。
だから
等身大で行きましょうよ!
等身大の自分を光らさる、注目させるのが、メディスン・ジュエリー