ひとつの考え方に、「この世に存在しているものはすべて振動している」というものがある。
ミクロからマクロにいたるまで、そのあり方は個体差はあれ、変わらない。
心の働きでも、「動揺する」というように、振動と似た働きを
言葉として表現するものがある。
「心が揺れる」ということもそう。
「心の琴線に触れる」というのも振動要素がないだろうか。
この「全てが振動している」ということは、
それぞれが、ただやみくもに無秩序に振動しているのではなく、
一定の固有の揺れにて振動している。
それが周波数を生み出す。
つまり、それぞれの固体は、固有の存在を、
周波数によって特定できるともいえる。
それを波動といったりする場合もある。
似たもの同士は、共感しあう。
人の心ではそうであろう。
お互いの心が同じ振動(周波数)で共振し共鳴しあう。
気が合う。
ということになろう。
モノであっても、
分かりやすい例では、音叉のように、
同じ周波数を出すことのできるものを2つ並べて
一方を揺らすと、もう一方のものも同じように揺れだす。
振動がはじまる。
これが、音叉同士であっても、
設定された周波数がそれぞれ違っていたら、
同じようにした場合でも、もう一方のものはピクリともしない。
このような原理を用いて、
バイブレーションの共振作用で調整を行っていく。
ある固体が本来の周波数を維持できない場合、
身体でいえば、調子が悪い、病気だ、つまり不健康な状態だとなる。
しかし、もともとは健康であるはずなので、
健康なときの振動を与えることで、健康な状態へ戻っていくはずである、
というのが、こういった世界の考え方である。
つまり、あるべき周波数のあり方に戻していくことで、
全体としてのその存在が、あるべき姿になっていく、
ということである。
無意識の世界であっても、
無意識であるから自覚認識できないが、
このようなことが起こる。
無意識の中には、それを構成する周波数による情報が一杯つまっている、
そのように考えてみて、本来あるべき情報のあり方へと共振をはかれば、
無意識の中の情報のあり方も「適切なものへ」と変容する、
否、立ち戻っていくわけだ。
たかが振動。
たかが波動。
たかがバイブレーション。
これらに何ができるのかと思われるかもしれない。
しかしながら、たとえば、サッカーの国際試合や、
MLBのワールドシリーズの熱狂など、
スタジアムのあの雰囲気はだれが作り、
だれがその雰囲気に酔っているのか?
中には常軌を外れてしまうような行いをする者もいる。
我を忘れて。
何らかのその場のバイブレーションによって
自らが何か変化する状態を、多かれ少なかれ体験しているはずである。
見た目は物理的に、何か強烈な物理的働きかけにより
無理やり変化を与えられているわけではない。
しかいしながら、その場のムードに飲まれたりする。
興奮したりする。
これを共振といわず何というか。
まったく興味が無い人がサッカーの試合をみて興奮しないのも
共振が起こっていないからだ。共鳴していないからだ。
いい、悪いではなく、ある意味物理的な反応に似た現象は起こるのである。
この原理を、様々なフェースにあわせて利用するわけである。
不都合な周波数に共振してしまえば、不都合な世界に連れて行かれてしまうし、
適切な周波数に共振すれば、バランスが崩れていても、それを取り戻すことができる。
そのような技術であると理解して欲しい。